やりたい事を選択することは自己中心的じゃない

ふふ新年を迎えてからブログを毎日更新しています。これは年始に今年はブログをめっちゃ書きます、と宣言したことがキッカケ。特に自分に対して縛りを設けているわけじゃないので、きっと書けない日も出てくると思います。このあたりの考え方はかなりゆるいです。

僕は時間の使い方も段取りするのもすごく苦手でかなり不器用。なので日々が思い通りに進むことはすごく少ないんですが、その雑な部分が逆に思い切り進める要素でもあるのかなと都合よく解釈しています。

年末で第三期のしなやかきゅうり栽培が一段落して、この正月休みが明けたら次作の準備に入ります。ここからまた休日の無い日々が続く…と言いながらも、そもそも休日と仕事の垣根が無くなってるので結局は何かしら考えてやっています。もちろんぐたっとダラけることもあるけど、それもまた意図的にやっているというか。何をするにも暇ということはありません。

きゅうりの栽培期間は圧倒的な時間をそれに割かれます。言い換えれば農作業はいまの僕にとってやりたい事でもあり「やらなければならない事」です。作物は勝手に育ってはくれるものの、それだけでは一人前の野菜にはなってくれないし沢山収穫することもできません。手がかかるところや自立を促すところなんかは子育てそっくり。

昨年は本当に沢山の仲間とチャンスに恵まれて良い意味で余裕の無い日々が続きました。その中で自分の事を発信し、仲間の発信を受信し、家族と向き合いながら農業に従事する。一筋縄ではいかないなと痛感しました。

ここ数日、その余裕のなかった時期にやりたくてもできなかった事をやったらどんな感じになるだろうという実験的な動きをしています。このブログを毎日書くということもそう、こんなのがあったらいいなという発信チャネルを作ったり、自分自身を見つめ直したり、これからの展開についての予定を立てたり。当然、大切な家族との時間も確保して。

そうした事で改めて気付いたことが、本当にやりたく無い事をやってる暇なんてどこにも無いってこと。企業が働き方改革で無駄を省き、労働環境を整えてパフォーマンスを向上させる事と同じで、僕個人としてもやりたい事を生み出す以上にやらない事を決めることだ大事だと思いました。

時間は有限、時間は有限、時間は有限。

僕が到達したい場所へはもっと尖らないと届かない。